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1957年(昭和32年)

昭和32年
成田郁久(現在、会長)が14歳の時、中学校に通いながら東北モーターで働きはじめる。
3年間修理技術を学んだ後、17歳で有限会社青森オート商会(ヤマハ特約店)に就職する。

1963年(昭和38年)

青森オート商会の倒産により、同年6月、浦町駅通りにアサヒモータースを開業。(この時20歳)
3年後、夫婦2人での商売がはじまる。
当時、冬の資金繰りのため、副業で熱帯魚のケース販売をはじめた。
熱帯魚ブームの風に乗り、売上は順調であったが、1968年(昭和43年)の十勝沖地震にて水槽が全て倒壊したため、熱帯魚事業をやめる。
昭和38年-1
昭和38年-2
昭和38年-3

当時のレース活動

 
昭和38年レース活動-1
昭和38年レース活動-2
昭和38年レース活動-3
昭和38年レース活動-4
昭和38年レース活動-5

当時の遠乗り会(ツーリング)

昭和38年遠乗り会-1
昭和38年遠乗り会-2
昭和38年遠乗り会-3

昭和38年遠乗り会-4
昭和38年遠乗り会-5
昭和38年遠乗り会-6

ぼんの写真

当時、お客様に愛されていたボンといいます。一人でタクシーに乗って行方不明になったことも。

1970年(昭和45年)

ヤマハニュース掲載 
「遠乗り会が活発」→P22
「こんにちはヤマハです。青森市橋本2丁目 アサヒモータース」→P26-P27

ミニトレでアタック会


1972年(昭和47年)

現在の堤町1丁目へ移転する。アサヒモータース改め、アサヒモーターへ屋号変更。

1973年(昭和48年)

第20回東京モーターショー


オイルショックの余波から翌年の開催が中止に。

期間中は開幕直前に勃発した第一次オイルショックが最大の関心事に。その余波からモーターショーのあり方までが問われ、翌年のショー開催中止が決定、以降は隔年開催となった。

 

1977年(昭和52年)

店舗を改装する。
ヤマハ初となる原付スクーター、パッソルが発売される。

 

1979年(昭和54年)

当時の店舗外観。

 

1980年(昭和55年)

ヤマハニュース掲載 
「集中力と計画性で300台販売に挑戦したこの1年」→P12-P14

1981年(昭和56年)

それまで夫婦2人で運営していたが、後に社長の片腕となる 故・鍬間喬(当時17歳)が入店する。

 

1983年(昭和58年)

青森市大矢沢字里見に支店、アサヒモーター青大通り店開店。(現在は閉店)

 

1983年頃(昭和58年)

 
初荷風景。ヤマハ発動機販売、青森営業所のみなさんと。

 
店内の様子。ジョグが発売された年。

 

1984年(昭和59年)

ヤマハニュース掲載
「保守店さんとの連携で津軽路での安全運転を図る 青森郵便局」→P27-P28

 

1985年(昭和60年)

第1回SLサマーモトリング イン 城ヶ倉

1985年(昭和60年)

ヤマハニュース掲載 
「バイク未踏の地を走る”アタック会”でトレールファンを拡大!」→P10-P11

 

1986年(昭和61年)

それまで、ヤマハ、ホンダと契約を結ぶ併売店であったが、ヤマハバイク正規ディーラーであるヤマハスポーツプラザ=YSPに加盟する。
屋号はアサヒモーターからYSP青森中央となる。
 

 

1987年頃(昭和62年)

ミニバイクレースが盛んだった。

 

1991年(平成3年)

当時の店舗外観。

 

1993年(平成5年)

ヤマハニュース掲載 
「近くて遠い北海道を3泊4日で満喫する‼」→P8
「道なき道を突き進め‼我ら青森中央アタック会」→P10

1995年(平成7年)

有限会社アサヒモーター設立。

1997年(平成9年)

初荷風景。この頃の従業員数が過去に一番多く、成田夫妻の他スタッフ5名、総勢7名で運営していた。現在の代表、成田真知子(左3番目)もこの頃入店。まさか、この店を継ぐとは思ってもいなかった。
 


この先、編集中。(次回公開までお楽しみに)